映画「聲の形」と「君の名は。」を見た

連休最終日,「聲の形」と「君の名は。」の二本の映画を, アリオ亀有にある映画館に友人と見に行った.

この3連休,土曜日は日帰り沼津,日曜日はお泊り会で,月曜は映画と, 盛りだくさんな感じで,非常に楽しく過ごすことができた. 最近日記はめっぽう書かなくなっている. けれど,家に帰ってから数時間経ってもいまだに余韻が残っていて, 少し文字として吐き出したい気持ちになったので,今日は思いのままに『日記』を書くことにした.

亀有駅周辺を散歩

家を出たのが早朝ということもあって, ちょっとテンションが上がった状態で亀有駅についた. 当初は, 「君の名は。」をアサイチで見て,「聲の形」を1時間,間を挟んで見ようという予定だった. でも,「君の名は。」が想像以上に席が埋まっていてので,逆の順序で見ることになった.

「聲の形」が始まるまで1時間弱時間がたったが,ショッピングモールは10時前でまだ空いておらず, 少し近くを歩くことにした. 快晴と呼べるほどでは無かったけれど,朝方多かった雲は少し減り,歩くのにはむしろ丁度良いくらいの気候となっていた.

亀有はこち亀で有名で,色んなところに,こち亀に関する銅像があった.

この写真に撮ったものは割合大きくて目立つものだったけれど, 小さい銅像もところどころにあり, お店にもこち亀に関するポスターが貼ってあるところもあった.

でも,こち亀に関するものを抜きにすれば,まあ駅前の普通の商店街ではある. 買い物する用事が無い人が早歩きで行けば,時間を食わせるようなところは,ほとんど無い. でも,普通の商店街でも,ゆっくり歩けて,面白いものは何かないかと探してみれば,ちょこちょこと見つかるものである.

「デジタル補聴器」の「デジタル」の文字を一本線で消して,「人工知能補聴器」と書いてある眼鏡屋さん. こんなところにも人工知能のワードは来ているのか,と思った. コンビニの中にある100円印鑑. 売れている名字に偏りがあって.ひょっとしたら地域性が分かるのかな,と思ったり.

面白がろうとすれば,案外ネタはそこにあるものなのかもしれない.

映画の感想

実を言うと,今回この2作品を見るのは,かなり躊躇があった. 面白そうだから見たい,という気持ち. でも,もし見たらつらい気持ちになるようなものだったら嫌だから見たくないな,という気持ち. 公開されてからずっと,相反する気持ちを持ちながら,来たわけだけれども, 二人で見ればダメージがあったとしても軽減されるだろう,と思って, 見たい気持ちを強めて行ったのだ.

あらすじや考察などは,検索すれば沢山でてくるだろうから, 自分の感想に絞って,付箋として残しておこう.

「聲の形」を見た

まず,「聲の形」. いじめのシーンがあるとの話を聞いていたので,心の準備はできていた. なので,そこまでは辛くはなかった. でも,最後まで,もやもやとした気持ちは解消されることは無かった. 一応謝るシーンや,仲良くしようとするシーンはあるのだけれど, 序盤で摂取した毒素を排出するのに十分な量は無い. この作品のメッセージは, いじめっ子が改心して,最後はみんな仲良くなって,ハッピーエンド,というものではないのだ. 私は,「他人に自分の思いを完全な情報量で伝えることはできない」というのが,込められたメッセージだと思った.

後からwikipediaを見たら, 「人と人が互いに気持ちを伝えることの難しさ」の答えを作者自身が見つけ出せなかったため、「読者に意見を聞いてみたい」という気持ちで描いたという とある. なので,「込められたメッセージ」というよりは「自分から出てきた解いへの答え」という方が適切なのだろう.

作品中では,様々な人物の様々な思いが交差する. 視聴者は,複数の視点を持っているし,出来事の当事者では無いし, 生育環境・生活環境・内心などがスクリーンで描かれているいわゆる「神の視点」で,登場人物の思いとそこに至る経緯を比較的客観的に汲み取りやすい. もちろん,キャラクターによっては,性格言動が生理的に受け入れ難いというのは,あるけれど.

でも,当事者になったら,そうはいかない. 偏見や感情というフィルタを介して受け取った情報をもとに,解釈せざるをえないし, 個々の事情というものが事前情報として正確かつ十分に与えられるとも限らないからだ.

映画を見たからといって,何か教訓を引き出す必要はないし, 娯楽的に楽しむので全然良いのだけれど,思ってしまったものは仕方がない. まとめらしき感想を書くと, 「それでも,自分の思い(聲)を,伝えたい相手には,なんとか『形』にして伝えていくしかない」.

人間が"聲"を伝えるのに使える伝送路は,種類も容量も限られている. 言葉といった記号にする段階で,伝えたい"聲"にはノイズが混じり, 途中で偏見や感情といったフィルタをくぐり抜けてでしか,人と人は気持ちをやり取りできない. でも,それはどうしようもない制約なので, それでもなんとか形にしてやりとりするしかないのだろう.

ただ,"聲"の形は,音声や手話といった言葉だけではない. 表情や姿勢,距離といった 非言語コミュニケーション に加え, 作品中にもあったように. お見舞いやプレゼントといった形にもできる. それらは,言葉に比べて効率性や正確さでは引けをとる伝送路かもしれないけど, 言葉を補うのに十分価値のあるものだと,思う.

「君の名は。」を見た

お昼ご飯を挟んで,次は「君の名は。」を見た. 中高生や,小学生までもが列をなしていて,様々な若い客層がいた.

噂通り,こちらもとてもおもしろかった. というか,中盤から畳み込まれるような展開で,圧倒された. 辛くなるようなシーンはあまりなく,SF的な面白さを感じた.

今までの新海作品とは雰囲気も異なり,"ハッピーエンド"で終わった.

あらすじや考察などは,検索すれば沢山でてくるから,そういうのは省略する.

「聲の形」はもう一度見たいとはあまり思わないけれど,さっき書いたように後から感想が溢れてきた. 「君の名は。」はもう一度見たい気がするけれど,感想は「面白かった」以上にうまく言葉にできない.

ただ,感無量になり,泣きこそしなかったけれど,うまく言葉にできずに, 上映後静かに席を離れたのは事実だ.

うまく言葉になれば,また感想を書くかもしれない.

まとめ

不安が有りつつ見た2作品だったけれど,両方見てよかったと思える. この映画も含め,とても有意義な三連休だった