2013-07-07 [Sun] 自己肯定感とわたし

オフ

今日もオフ

インドカレー

teenstが作ってくれた. おいしかった

自己肯定感

今日は,NAISTに入ってから,今までの自分の心境の変化について, 少し長くなりそうだが, 過去の日記を参照しつつ書こう.

自己肯定感とわたし

自己肯定感について考えることが多かった.

自己肯定感とは,『「自分は大切な存在だ」「自分はかけがえのない存在だ」と思える心の状態』 (はてぶ)

NAISTに来てから,落ち込むことが多かった.

研究もなかなかうまく行かず,というか研究の作法も分からず,英語の論文もろくに読めず,右往左往していた. (例えば入学した年の12月の日記D2の春の日記とか,うまくいってないと,事あるごとに感じてた)

研究だけじゃない. 叶えたいと思って叶わなかったこと多数. 「誰しもうまくいってばっかりじゃないよ」と励ましてくれたり,自分に言い聞かせたりした. でも,もがいて,もがいて,それでも空回りしてってのを繰り返してるうちに, いつの間にか周りの人が進んでいってるのを見ると, いつまで経っても自分が足踏みしているように思えて,どんどん自信はなくなり, 自己肯定感もなくなっていった.

多様な価値観に触れる

研究の悩みは,研究でしか.解決されない. 頂いたアドバイスに従って,英語論文を観念して読んだり,コード書いたり, 何度も論文を書いては直し書いては直した. 研究面での焦燥感や焦りは, 色々試行錯誤する中で,徐々に,入学して4年くらいかけて,減っていった. グラントに落ちたり論文がリジェクトされたり,落ち込むことはたくさんあったけど, なんとかめげずに,あがいて,少しずつ,前に進んだという自信はついてきた.

さて,研究以外のことはどうだろうか. 色々試行錯誤してはうまくいかなかったり,という感じだった. そんな中,九州アメリカに行く事があり, 色んな人の生き方,考え方に接して,これまでの自分の価値観や世界観が, いかに凝り固まったものであるかに気づいた. 学校を出てからすぐに就職せずに何かやりたいことをやる人, 40歳を過ぎてから出会って結婚した新婚の夫婦, 途中で自分の道はこれではないと考えて別の道を進んだ人…….

自分の中には,想像もしなかった,色んな様々な価値観に触れた. こんな人生もあるんだ,と思った.

そして,自分の中に幸せかどうかの評価基準があまりに少なすぎることに気づいた. これを持っていれば幸せ,そうでなければ,幸せではないという考えが,無意識の中にあった. だが,金銭や家族を得るといった「典型的な幸せ」がたとい,得られなかったとしても, 幸せというのもはなり得るのだとの考えに,なっていった

与えられ,奪われた

そういう風に前向きな気持ちになったのが幸いしてかどうか, 次第に,色々なチャンスが巡ってくるようになった. 詳しくは省くが,ある程度成功に向かっていって, おっこれは良い感じなのではと思った矢先,どのチャンスもを失った.

ヨブ記

聖書を開くことは殆ど無かったのだけれど,ふとしたきっかけで, ヨブ記を最近読んだ. (参考:とあるtogetterまとめ)

読んだというか,正確には流し読みしたというのが正しい. 途中,長い長い散文詩があって,読むのが辛くなって,飛ばしてしまった.. とはいえ,まぁ目を通した,と言ってもまぁ許されるだろう.

ヨブという信仰に堅い人が,神から財産・家族・健康を奪われていくという,様々な苦難に遭う話だ. テーマを一言でまとめると,

というお話.

裸で帰ろう

何を持っているから人は幸せなのだろうか. 家族か?恋人か?財産か?友人か?技能か?

途中,このようなセリフがある.

 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」 (ヨブ記1:21)

ヨブが次々と失っていく中のセリフだ.

理不尽なことがあっても,人間には考えても,n次元からn+1次元が観測できないように,人にはその理由は結局分からない. そのような話が,自分の腑にすっと落ちた.

良いことも,悪いことも,全てを受け入れる. 今なら,すっと胸に入る.

結局,裸で生まれて,裸で死んでいくのだから,自分は自分で良いのだ. そう思うようになって,私の中で,自己肯定感が取り戻していった.

はて,この先の人生で,何が与えられ,何が奪われるのだろうか. それは分からない. 何かがあっても,どうしてそうなったかという,本質的な理由も,結局はわからないのだろう.

全てを受け入れよう. 少なくとも,受け入れようとする姿勢で,生きていきたい.